2008.1.17 母国語の衰退を理解する  



文章力の低下が言われて久しいですが、これは我が国
に限らず香港など、外国でも起こっている現象のようです。
ゲーム機がありケータイがありコンピューターがあり、
娯楽は無限にあります。そこに来てなぜ時間もかかり
読みにくく能動的な読書をしなくてはならないのでしょうか。
マンガで十分だと思います。
香港では週に1時間程度の読書量だそうですが、読書を
物理学や医学のように専門分野と考えてはどうでしょうか。
「日本語ができなくて何が英語だ、物理学だ」
という頭の固い方もいるかもしれませんが、ある偉人は
言いました。「生き残るのは強いものではない。
変化するものだ。」

たしかに読書をすれば文章力がアップするかもしれません。
しかし就職する段になると現代国語よりもプログラミング
言語や英語の方が有利に働きます。
現代国語は「いやー、あまり読書しなくてね。」と
言っておけばいいでしょう。

わたしも難しい言い回しをすると「文章を書く人なのですね。」とは
言われますが尊敬されているかは別です。
内心、相手は苦々しい思いをしているかもしれません。

当然、試験の一般教養などでは国語力が問われるわけですが
若者を理解しない人は国語力がすべての基礎である
と思っているようです。
恥ずかしながらわたしは大学になるまで新聞が読めませんでした。
文学をむさぼるように読むようになってはじめて新聞や言い回しの
難しい文章(哲学など)がわかるようになりました。

山田悠介という作家がいます。ベストセラー作家です。
ケータイ小説があります。売れています。
大人の方々は本もあまり読まず(昔読んだからもう
いいと思っている)若者は読書をすべきだでは
筋が通りません。
思想が退化したなどグチのオンパレードですが、
自分は新刊本を買っているのでしょうか?
古本屋で用を済ませていませんか?

とここまで若者の肩を持ってきましたが、若者がなりたい
職業のひとつクリエーター、表現者。
これらはすべて古典から来ています。
ゲーム、マンガ、音楽、映画、すべて古典をひな形として
成り立っています。
これを無視して物語を作るとひどく薄っぺらいものになります。

プログラマーとか外資系の会社は国語力をさほど必要と
しないかもしれません。
一般職も上司からばかにされるだけで別に問題ないと
思います。
しかしものをつくる、なにか表現するという段になると
古典が、無視できなくなることも覚えておいてください。

ビートたけしさんや島田紳助さんなど「なかなかすごい
人だね」と言われる人は必ず古典に学んでいます。
特に古典文学。
赤と黒、奔馬、カラマーゾフの兄弟・・・などなど。

結論が出ないように思いますが、そうではありません。
社会がフラット化する中で国語力は確実に落ちていきます。
しかし芸能事やエンターテインメントを志す人は
ぜひ古典を学んで欲しいと思います。
ゲーテは言いました。ロマンは病的、古典は健康的。
あなたはどっち?

 
2008.1.17